衆議院議員 静岡県第7選挙区城内 実

活動報告及びお知らせ
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◇ コ ラ ム ◇ 勤労感謝の日と新嘗祭

2008.11.23 コラム

 今日は11月23日、国民の祝日であった。午後10時過ぎに家に帰ってきたら、子供たちがまだ起きていた。今日は何の日か知っているかと訊いたら「勤労感謝の日」と答える。正解である。でももともと何の日だったか知っているかとさらに訊いてみると、「知らない」という。ごく平均的な日本人の代表ともいえる妻も分からない。
 そう、実は今日は「新嘗祭(にいなめさい)」の日である。新嘗祭とは、毎年この日に宮中で行われる祭儀のことであり、天皇陛下がその年の新穀(おもに新米)を神様にお供えして収穫を感謝する。新嘗祭は飛鳥時代にはじめられたと言われているが、もっと前から、おそらく太古より宮中で行われたお祭りであり、一般家庭でも同様に新米を供えて神様を祭ってきたのだ。戦後は、勤労感謝の日として国民の祝日となった。
 しかし、勤労感謝の日と言われてもピンとこない。「新嘗祭」の名称の方が、われわれ日本人のご先祖様が営々と続けてきた稲作のご苦労への感謝の気持ちや、宮中の厳かな祭儀の模様や、秋の季節感などが伝わって良いと思うのだが。「新嘗祭」がだめならせめて「収穫感謝の日」とか「新穀感謝の日」にできないのであろうか。
 「不覚にも今日出がけに国旗を掲揚するのを忘れてしまった」と妻に言ったら、ちゃんと代わりに玄関の所定の場所に掲揚してくれたとのこと。結構気がきくな、えらいなと思った。(来年から妻の誕生日(11月19日)覚えておくようにしよう。)
 ところで、私は外国くらしが長かったせいか、どうも日本の「国民の祝日」ほど「国民」感覚が薄い祝日はないのではないかと思えてならない。だいたい、「成人の日」、「みどりの日」、「こどもの日」、「海の日」、「敬老の日」、「体育の日」、「文化の日」、「勤労感謝の日」などは、名称があまりにも無国籍すぎはしまいか。万国共通の祝日や仮想国家「地球市民共和国」の祝日みたいだ。戦後GHQの占領政策の下、国民の祝日まで骨抜きにされてしまったとしか思えない。
 「みどりの日(5月4日)」とは「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」日だそうだ。「春分の日」も「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」日なので、両者の違いがよく分からない。いっそのこと、「緑の日」、「赤の日」、「黒の日」、「黄色の日」、「茶色の日」、「黄金の日」とか「色シリーズ」にして、「緑の日」には緑の服を着ている人は公共交通機関がただで乗り放題とかにして、町中が緑の人だらけでお祭り騒ぎとかにしたらどうだろうか。もちろんこれは冗談である。
 「国民の祝日」と言っても、日本国民として日本の何を祝うのかはっきりしておらず、日曜日の延長みたいなものに感じられてならない。だから、心の底から祝日に国旗を掲揚しようという気がおこらない人が多いのではないか。案の定国旗を掲揚している家庭はまれである。
 せめて諸外国なみに、日本の歴史伝統文化や誇りとしているものが「外国の方々にも分かる」ような国民の祝日を制定して欲しいものだ。
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稲刈り