◇ コ ラ ム ◇ 柴田つる子と「港に灯りがともる頃」
私がまだ中学生の頃だったろうか、ラジオNHK第一放送で懐メロを短時間放送する番組があった。その中で「港に灯りのともる頃」という懐メロがかかった。たまたまラジカセ(このことば自体が今や懐かしい)に録音していたのでその後何度も何度も聞いた。異国情緒あふれるメロディーをしっとりとした声で歌う女性の歌手にたちまち魅了された。今からもう30年近く前の話である。
それから数年後の高校生時代に「港に灯りのともる頃」の美麗盤をレコード店で発見した。一枚2000円近くしたがすぐに購入した。高い買い物だが大変満足したのを覚えている。
「港に灯りのともる頃」を歌ったのは柴田つる子という歌手で、このレコードは戦後間もない昭和21年5月に日本コロムビアから発売された。柴田つる子といっても今では覚えている方はあまり多くないだろう。私がまだ外務省に勤務していた頃、学生時代にお世話になった小堀桂一郎先生からの依頼で「港に灯りのともる頃」が入っているCDを探してさしあげたのを覚えている。この曲は結構ヒットしたらしいが、柴田つる子という歌手の名前を昭和8年生まれの小堀先生も覚えておられなかった。
柴田つる子が歌った曲はあまり多くないが、「銀座歩けば」(近江俊郎、宇都美清)、「チャンスチャンスだ」(藤山一郎)、「青春プランタン」(岡本敦郎)、「湖畔の一夜」(菊地章子、宇都美清)など結構日本コロムビアに他のスター歌手との共演で吹き込んでいる。私は「青春プランタン」が好きでしょちゅうレコードをかけて聴いていた。当時日本コロムビアの女性スター歌手といえば、渡辺はま子、二葉あき子、菊地章子、奈良光枝、高峰三枝子であり、柴田つる子などはどちらかというとその二番手という感じの存在であった。その後、笠置シズ子、美空ひばりと大スターが誕生したが、ますます彼女らのにかくれて柴田つる子は終始地味な存在であった。
外務省時代に一度小堀桂一郎先生と「歌のおばさん」で一世を風靡した安西愛子先生が私のアパートを訪れたことがある。その時、「港に灯りがともる頃」を歌った柴田つる子さんのことが話題にあがった。安西愛子先生は「柴田つる子さんのことは良く覚えています。背のすらっと高い人だったと思います。とてもきれいな人でした。」 と述べておられたのが印象的だった。
渡辺はま子や二葉あき子などに戦前からの日本情緒、笠置シズ子にアメリカのばたくささ、美空ひばりに戦後の日本を感じるが、柴田つる子にはそれとはなにか違うものを感じる。柴田つる子に当時としては珍しいヨーローパ調の洗練されたものをその歌い方から感じるのは私だけであろうか。
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