衆議院議員 静岡県第7選挙区城内 実

活動報告及びお知らせ
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◎ 政 治 ◎ 中川昭一元大臣のお通夜

2009.10.09 ピックアップ

 8日、午後1時40分頃、たまたま昼食をすませ東京の平川町の交差点を歩いていると、平沼赳夫先生の事務所のスタッフが自民党本部の近くにいらした。中川昭一先生の霊柩車が自民党本部の近くをとおるとのこと。このあと午後1時55分に第二議員会館でお迎えする予定であったが、しばし立ち止まって待っていると、棺をのせた車がゆっくりと来た。今は亡き中川昭一先生のお車にいちどう深々と頭を垂れる。車は自民党本部に入っていった。われわれは外からながめていた。
 その後私は、近くの平沼赳夫先生の事務所にスタッフのみなさんとともに赴く。そこで平沼赳夫先生とお会いする。平沼先生によると、4日の日曜日に訃報に接し中川先生の東京の自宅に急遽かけつけてご対面、その数日後にもご自宅に弔問に訪れたとのこと。さらに、本8日のお通夜と9日の葬儀にも出席する旨述べておられた。
 「選挙前に中川昭一君を軸に保守の再生を考えていただけに、残念だ。」との平沼赳夫先生の言葉が重くのしかかった。
 思うに、マスコミは例の記者会見をこれでもかと何度も何度も繰り返し放映していた。しかし、中川昭一先生がご逝去されたにもかかわらず、マスコミは中川元大臣がわが国の教育の正常化や東シナ海の油田の問題、国防及び領土問題、拉致問題について命がけで戦っていたという事実をほとんど報道しない。あの酩酊会見が行われた国際会議の場において、外国人からどのような高い評価がなされたかも一切報道しない。
 私は中川昭一先生は数少ない日本の国士だと思っている。
 私が七年前に初めて国政選挙に打って出たときに、無名の無所属の新人の城内実の応援にわざわざ地元の湖西市まで来て下さったこと、さらに当選後の最初で最後の東京における政治資金パーティーにわざわざ来て下さったことを今でも忘れない。外務省の一事務官時代にわざわざ食事に誘って下さったこともあった。本当にシャイでお酒が好きな義理人情の無頼漢であった。正真正銘のさむらいだ。まだまだ思い出はつきない。
 午後5時に麻布の善福寺にお通夜に参列した。正式には6時から開始なのにすでに大勢の方が列をなしていた。しばし御霊前に手をあわせる。
 中川昭一先生のご冥福を改めてお祈り申し上げる次第である。