◎ 政 治 ◎ 財政破綻リスクに関する質問主意書への答弁書に対するコメント
2月20日のブログに掲載した私の「財政破綻リスクに関する質問主意書」への答弁書につき、日本経済復活の会を主宰する小野盛司会長から貴重なコメントを寄せていただいたのでご紹介する。小野先生には、この質問主意書提出に当たっても多大なご協力いただいた。この場を借りて御礼申し上げる。
なお、この問題については近々に再質問をするつもりである。また、このブログでも掲載させていただく。
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「財政破綻リスクに関する質問主意書への答弁書」に対するコメント
■一について
財政破綻とは、国家財政の資金繰りが付かなくなってしまうことであり、単に「財政状況が著しく悪化し、財政運営が極めて困難になること」ではない。したがって、財政運営が困難になるかもしれないが、完全に資金繰りが付かなくなることはないというのであれば、この文章はおかしい。撤回すべきである。
■二から四について
どんなに国債を発行しても国債の元金償還および利子支払いを、政府が行うことが出来るのであれば財政運営が困難になることはあり得ないし、ましてや財政破綻の可能性は無い。したがって財政破綻の可能性を政府は撤回すべきである。
■五及び六について
終戦直後のインフレと同様なことが、現在の日本で起こり得るとの主張である。政府は終戦直後と現在の経済状態との違いを全く理解していない。
終戦直後は、空襲で生産力が落ちて物不足になっていた。終戦の翌年の1946年、日本のGDPは戦前のピーク1938年の2分の1まで下がっていた。鉄鋼の生産量は戦前の7%にまで落ち、鉱工業生産は戦前水準の27.8%しかなかった。農業でも、戦時動員による人手不足で作付面積が減少したところに冷害などの災害が加わり、1945年の米作は、587万トンという記録的な凶作となった。ちなみに1940~44年度の平均は911万トンだった。それ故、食料が足りず飢餓に苦しんでいた。
戦費捻出のために発行された戦時国債の償還、軍需物資に対する支払い、復員兵の帰還費用の捻出等、政府には巨額の出費が迫られた。財政破綻だ、財源はあるのかなどとのんきなことを言っている時ではなかったのであり、お金を刷って支払うしかなかった。
生産力を増強するには、電力の供給を増やさねばならず、そのためには石炭供給の増強が必須であった。石炭業では1944年まで年産5300万トンの水準だったが、中国人・朝鮮人を強制的に働かせて生産を維持していた。終戦後、強制労働が解除されると年産1000万トンを下回るまで激減し極端な石炭不足に陥った。そこで1947-1948年に基幹産業の発展を最優先する「傾斜生産方式」が実施された。
まず復興金融公庫(復金)が大量の国債(復興債)を発行し、それを日銀が引き受けることにより資金を獲得、それを石炭・電力・海運を中心に基幹産業に重点的に投入した。一般金融機関の資金供給力が低下する中、復興金融金庫による融資の割合は大きく、設備資金では1949年3月末現在の融資残高の74%は復興金庫融資で占められていた。お金を刷って復興資金にしたわけだが、これが生産回復に大きな役割を果たした変面、復金インフレと呼ばれたように、インフレを加速する結果となった。
この財政・金融政策をどのように評価すべきだろうか。もし、このような政策が行われなかったら、政府は財政難で生産力を回復させる強力な政策は出せなかっただろうし、石炭・電力・鉄鋼の生産不足が続いていただろうから、物不足つまり需要が供給を大幅に上回る状況が続きインフレは長期化しただろう。そして奇跡の経済復興はあり得なかっただろう。戦後の混乱期のような非常事態においては、通貨発行権を行使し政府に十分な資金を確保し、それによって基盤産業を緊急に育てるという政策は正しかった。国民に対しては、激しいインフレに耐えてくれと、つまり暫くは痛みに耐えて日本経済を復興させようと協力を求めたわけだ。
終戦直後と現在と同じ経済状態とでも政府は主張したいのだろうか。極端に生産力が不足していた当時と違い、今はデフレで逆に生産力が余っている。外貨が不足し輸入が思うようにできなかった当時と違い、現在は外貨も十分あり輸入はできる。鉄鋼、石炭等資源が極端に不足していた当時とは全く違う。米の備蓄もあり多くの国民が飢餓に苦しんでいるという状況ではないし、食料が不足すればいくらでも輸入は可能だ。
財政法第五条は終戦直後の昭和二十二年に定められたのであり、当時は意味があったが、全く異なる経済状態の現在では逆にこの法律がデフレ脱却を不可能にし、国民を苦しめている。新しい時代には新しい法律が必要であることは言うまでもない。法律改正をしないとしても、時代が変わったのだから、この法律を柔軟に適用し、日銀の国債価格の買い支えや、財政赤字のファイナンスも認めるべきである。
■七及び八について
国語辞典によれば「自主権とは他から干渉を受けず、自主的に決定することができる権利」である。政府は、どこから干渉を受ける恐れがあるといっているのか。金融機関の言うなりになるということなのだろうか。それともIMFからの干渉なのか。他からの干渉を受け、財政運営の自由度が失われると主張するのであれば、干渉するのは誰なのかを明らかにすべきである。
■九について
総理大臣が国債発行による財政運営が2年後にできなくなるというのであれば、国民に対し、他にどのような方法があるのか示す義務があり、示せないなら総理としての資格はないと考える。
■十について
歳出と税収の差額が新規赤字国債発行額にならないのであれば、それ以外の財源があるということであり、それは何なのかを明らかにすべきである。
■十一について
政府は、税収を全部使っても、国債費さえ払えないという経済状態に日本を陥らせようとしている。それでよいと考えているのだろうか。消費税を福祉目的税にしようと言っているのは増税のための詭弁にすぎないのではないか。思い切った改革は必要ないと考えているのか。