公共心なくして日本の未来はない
建築家の安藤忠雄さんは、同潤会アパートを六本木ヒルズをはじめこのごろはやりの高層ビルではなくてあえて低層にして地下を深くした。古いアパートのおもかげも一部残したという。
経済効率性の観点からは、あれだけの一等地なのであるから、より高い建物にしてたくさんの店舗が入る方が良いにきまっている。そこをあえてやらなかったことを私は高く評価している。
我々が住んでいる町の風景というものに対しては、戦後あまりにも経済効率性を追求し、その結果どんどんその風景が破壊されてきた。しかし、我々や我々のご先祖さまが住む町には過去現在未来に至るさまざまな人間ドラマがあった空間であり、これから新たな人間ドラマが展開する空間である。だから少しずつ町の様相が変わるのは良いかもしれないが、その根本となる町並みは可能な限り残してもらいたい。人々の町並みに対する懐かしい記憶はもっと大切にすべきである。欧州的な「空間の連続性」を尊重すべきである。
私は西岸良平氏の「三丁目の夕日」という漫画を昔から好きでよんでいる。まだ見ていないが最近映画化され結構評判のようである。この「三丁目の夕日」に登場する人物は名も無き人々であるが、狭い地域の空間の中で貧しいながらもさまざまな喜びや悲しみを味わいながら、みんなが懸命に生きている。そこに出てくる町並みは私が生まれるちょうど5ないし10年前の昭和三十年代のものであり、実際に体験したものではないが、妙に懐かしくほっとした幸せな気分にさせられる。地域の住民がお互い助け合ったり励まし合ったりしているその姿に、現代の社会風潮が軽んじている公共精神を見いだすのである。
さて上述した欧州的な「空間の連続性」とはなんのことであろうか。私はベルリンの壁が崩れた翌年にドイツのアウグズブルクという中都市の大学に留学していた。アウグスブルクはディーゼルエンジンの発明者ディーゼル氏ゆかりの地であり、工業都市である。そのおかげで第二次世界大戦中は連合軍の爆撃で町の中心部はかなり破壊された。それにもかかわらず、アウグスブルク市民及び市政府はアウグスブルクが誇る貴重なロココ調の市庁舎(ラートハウス)を何年もかけて修復し続けた。くずれおちたがれきを集めて再利用しながら。私が留学中の十数年前はまだ建物内の壁画が完全に修復されていなかったが、その後ようやく半世紀以上の時を経て完全修復したのである。毎年限られた予算の範囲で莫大の時間をかけてこつこつなおしていく。まさに気がとおくなるような作業である。自分の死後に建物が完成するのが分かっていても、子々孫々に思いを託して全力で修復に取り組む町の有力者をはじめとする関係者たち。ここにも我々が学ぶべき欧州人の公共心を感じる。
今日地元のTKさんという方のご自宅をおじゃました。この方は自分の記憶と多くの証言者の記憶だけを頼りに自分が昔住んでおり、空襲で破壊される前の昭和17?19年の町並みを地図で復元することに成功した方である。その地図を見せて頂いたが、一軒一軒の家に名前が書いてあり、魚屋さん、文房具やさん、八百屋さん、水飲み場、酒屋さん、お寺、神社が書かれていた。
大型店舗がいたるところに進出している現代とは全く異なり、60年前の日本の都市には、自宅のほんのまわりだけで一つの自己完結した生活空間があったのである。そのことを改めて認識した。自動車という便利なものが出来たのは良いが、移動距離が増えた分、自宅近辺の濃密な人間関係、義理人情、助け合いといった精神が稀薄となった。また、損得勘定を抜きにした日本人のこころ意気が失われたような気がしてならない。
自己中心主義を捨て、身近な生活空間を分かち合う共同体精神を大切にしようではないか。そうでなければ日本の未来はないと思う。
4月12日(水)