お盆
今日は地元の初盆参りをした。まわるところはたくさんあるが、13日、14日の両日に本人がいけるところは限られている。義理を欠いてばかりで申し訳ない。
お盆というと亡くなった方の霊魂が家族の下に帰ってくる時期である。一説には人が亡くなると魂(たましい)は肉体を離れ、さらに魂(こん)と魄(はく)に分かれ、天上界をめざす前者と地上をさまよう後者になるとのことである。その真偽のほどは人間が亡くなってみてはじめて分かるものであるが、お盆というものはなにも無意味な行事をやっているわけではないと思う。
現世御利益の村上ファンドやライブドアあるいはそれを支えた経済効率主義者や株主至上主義者といった金権勢力からすれば、お金儲けとは何も関係のない鎮魂の行事は時間の無駄と感じるであろう(時にはお客様である一般大衆に迎合しなkれば仕事をもらえないというような発想で、意味も分からずに鎮魂行事に参加しているかもしれない)。が、もしあの世があるとしたらそういう連中はそのつけをあの世で払わされるであろう。自分は欧米の一般的な庶民と比較してもそれほど信心深いわけでもなく、特定の宗教団体にも所属していないが、神の存在を否定しただひたすら西欧流の悪しき合理主義や理屈(私からみればへりくつ)に終始しているような唯物主義的な人間にはなれない。
人間たるもの、自分を超える絶対的な存在(=神)に対し畏敬の念を頂き、常に神が自分のあらゆる行動を見守っている(時には監視している)と信じることが大事ではないかと思う。そう信じれば、嘘をつけば神様からとがめられる、悪事を働ければその報いを死後の世界で受けるとなり、人を殺したり、傷つけたり、だましたりするようなことはなくなるであろう。常に天上界の目がそそがれているという意識である。
私が信念を貫くのも絶対的な存在である神様に対して顔向けできないような卑怯なことができないからである。神様の存在を信じないような世渡り上手な人間や情勢を見渡して勝ち馬にすぐ乗るような人間からすれば私のような人間は単なる馬鹿な存在かもしれない。が、それはそれでよいと思う。そういう現世御利益、利益誘導型の方々もいつかは気がつくであろうし、気がつかないようではそれは自分の努力が足りなかったわけである。自分の不徳の致すところである。
今回「ですます調」からまた「である調」にもどさせて頂いた。この方が自分にあっている。一時期混乱を招いてしまったことにお詫び申し上げる次第である。
7月14日(金)