世界史よりも日本史を
いくつかの高校において、生徒が必修科目の世界史を履修せずに実際は選択科目の日本史を履修しために(名目上は世界史を履修)、来年三月に高校を卒業できなくなるという記事が新聞紙上をにぎわした。
確かに、現行の指導要領に基づけば、世界史は必修科目であり、必修科目を履修していないものは卒業資格がないと言われればそのとおりかもしれない。
しかし、伊吹文部科学大臣が先般述べたように、そもそもなぜ世界史が必修で日本史が選択科目なのか理解に苦しむ。なぜ必修科目と選択科目に別けられているのか。世界史と日本史の場合はむしろ、日本史が必修で世界史が選択科目であるべきではないのか。
私が高校生の頃は、学校で日本史、世界史、地理B、倫理社会を全て履修した(他には政治経済)。社会科の科目のなかで一番必修にすべきは日本史ではないかと考える。
前にも触れたが、今や国際化の時代だからこそ、国際人としての日本人は自国の歴史や伝統文化について語れなければ外国人から軽蔑される。世界史の知識が極めて豊富な日本人であっても、日本史の知識に乏しければ、外国人から見れば単にうさんくさい外国おたくの日本人にしか見えない。
だからこそ、日本人たるもの世界史よりも日本史をしっかりと学ぶべきである。ついでに言うと、日本の小中高生はその他大勢の言語のなかから「日本語」を学んでいるのでなく、「国語」を学んでいる。同じように、「東洋史」、「東欧史」、「ラテンアメリカ史」、「アフリカ史」「アメリカ史」等々の各地の歴史の中から「日本史」を学んでいるではなくて、「国史」を学んでいる。
自国の言語は「国語」であり、自国の歴史は「国史」である。こうした主体的な名称を使うべきではないだろうか。
10月27日(金)