小学生に英語教育?(その二)
先日小学生に英語教育を義務化することの愚かさをブログに書いたが、私城内実は従来より、中学、高校の英語の教科書の内容を抜本的に変えるべしと言い続けている。
英語の教科書を見るとどうも日本の生徒がアメリカ文化に親しむような内容になっている。いわゆる米占領下のジャック・アンド・ベティの世界と基本的に変わっていない。そうではなくて、太郎と花子が日本にはじめて来たジャックとベティに、日本の伝統・文化を教えるために京都に連れて行ったり、一緒に新幹線から富士山を見たり、お寺や神社に行ったりするような内容にすべきである。また思い切って日本の記紀の神話や俳句、短歌の世界にまで引きずり込んだらどうであろうか。
自国の伝統文化についてきちんと語れない人間は外国人から軽蔑される。外務省時代よく外国人と話をする機会があったが、その国の歴史や伝統・文化をある程度勉強しておいて、会話の中で例えば、「あなたの国のドボルザークは偉大な作曲家ですね、私も好きで良く聴いています。」と言いつつ、「日本にも滝廉太郎、山田耕筰、近衛秀麿、信時潔といったすばらしい作曲家がいました。今度CDをプレゼントしますから聴いてください。」といってさりげなく日本文化の宣伝をするのである。数週間後、先方から連絡があり、「いやあCD聴きました。日本にこんな素晴らしい作曲家がいたのですね。知りませんでした。日本が一層好きになりました。もっと日本のことを教えてください。」となるわけである。こちらは、「もちろんおやすいごようですよ。私もチェッコのことは良く分からないのでいろいろと教えてくださいね。」となり、真の文化交流が成立するわけである。
外国人から日本のことを尋ねられてきちんと答えられないと、たとえ流ちょうな外国語を話せても、露骨に「この人は自分の国のことすら良く知らない教養のない人」と見なされ軽蔑されてしまう。だからなまじ英語ができるよりも、丸暗記やかたことの英語でも良いから日本についてある程度英語で話せればそれで充分である。
4月4日(火)