保守団結の会 決議文 申し入れ
保守団結の会の外交・防衛・情報力の根本的な強化を求める決議文を、小野寺五典安全保障調査会長と萩生田光一政調会長に申し入れしました。
防衛費の財源を国債とすることや、サイバー攻撃への対処、情報力の強化のために内閣情報調査室の「内閣情報調査局」への格上げ等を盛り込んでおります。
私からは、防衛費の財源にあたっては、日本経済が未だデフレ脱却できていない状況を鑑み、景気を腰折れさせる増税ではなく、国債の発行をもってすべきということを申し上げました。
有識者会議の内容を見ると、増税ありきのような議論が展開されておりますが、正しい経済知識と経済分析のもとで、施策を実行しなければなりません。
防衛力強化と経済回復の両方に取り組む必要があり、どちらか片方という愚かな選択をとってはなりません。
決議文の全文は以下です。
◎決議全文
「三正面に対する外交・防衛・情報力の根本的な強化を求める
我が国の安全保障政策は、今、重大な岐路に立たされている。
元来、我が国を取り巻く安全保障環境には地政学的リスクがある中、その状況はますます厳しさを増してきている。力による一方的な現状変更やその試みを続け、近年ではロシアと軍事的な連携を深化させている中共や、過去に例を見ない頻度でミサイルの発射を繰り返し、一方的な挑発をし続ける北朝鮮による我が国への安全保障上のリスクは増大の一途を辿るのみである。
加えて、サイバー空間をはじめとした新たな領域の出現により、我が国・企業等へのサイバー攻撃の脅威は深刻なものとなり、さらに、技術革新に伴う軍事技術の進展を背景に、先端技術等をめぐる経済安全保障の重要性が高まる中、認知戦や情報戦が展開され、平時でも有事でもないグレーゾーンという事態が顕在化する等、従来からの安全保障のあり方は、今まさに根本から問い直されている。
このような状況の下、ロシアによるウクライナ侵略という国際秩序の根幹を揺るがす事態が起こり、ロシア同様の専制主義である中共では、習近平体制が三期目二〇二七年まで延長されることとなり、我が国は、台湾有事に最大限の緊張感を持って備えなければならない状況にある。
我が国が不断の努力で築き上げてきた平和と安全、そして自由と民主主義を断固として守り抜くためにも、外交・防衛・情報力の根本的な強化を求めることを決議し、以下、政府に求める。
一、防衛力の強化のため、戦略三文書において、中・露・北朝鮮の三正面を「脅威」と明確に位置づけるとともに、「反撃能力」を明記し、防衛省予算を七本柱にそって積み上げた五年間の防衛費総額約四十八兆円(中期防対象経費)を確実に措置し、防衛費のGDP二%以上を五年以内に達成すること。その際、NATO定義と称し、海上保安庁や遺棄化学兵器処理、内閣衛星情報センター、研究開発予算、港湾・空港整備等の防衛省以外の予算を換算すべきではない。財源についても、コロナ禍や物価高という経済状況を踏まえれば、直ちに増税する環境にはなく、当面国債を活用する。装備移転三原則等の制度見直しを図り、防衛産業基盤を整備すること。これとは別に、我が国の領域に対する侵害行為への対処を目的とした措置として、武力攻撃事態に至らない侵害に遅漏なく対処するための必要な措置について、法整備を含め、早急に検討するとともに、領土・領海等を守り、国民を保護するために、海上保安庁や警察、消防等の予算と体制を拡充すること。
二、サイバー攻撃に対処すべく、防御を固め、動向を把握し、牽制・抑制を高めるためにも(自民党第二次提言令和元年)、「積極的サイバー防衛」を実現するために、関係法令等を見直し、官民連携のもと、予算を拡充し体制を強化すること。
三、情報力の強化のために、内閣情報調査室を内閣情報調査局に格上げし、情報コミュニティの人員体制や予算を拡充すること。特に、ヒューミントと呼ばれる人的な情報収集体制と予算を強化すること。外交や防衛面だけでなく、情報面からも日米同盟やクアッド、G7等の同志国・友好国との連携を強化すること。
四、経済安全保障の強化のため、推進法に基づき着実に進めるとともに、セキュリティクリアランス(適格性評価)の仕組み等を早期に導入すること。
五、外交力強化のため、外務省の人員体制と予算を、主要先進国並の八千人へと計画的かつ早期に強化するとともに、防衛省や情報コミュニティ省庁からの在外公館への派遣を活発にすること。日米同盟を更に強化し、拡大抑止の協議を進展させること。
六、外国勢力や反社会的勢力から国民を守るため、国民保護訓練を更に徹底し、国民のカウンターインテリジェンス能力を向上させる教育や、国民の安全保障に対する意識を高める啓発活動を強化すること。
七、特定秘密保護法を改正し、国家公務員に情報漏洩を働きかけ扇動・教唆する工作員等への罰則を強化すること。
以上、政府において早急な取組みを求めるものである。
令和四年 十一月八日 保守団結の会 同志一同」