入学式は四月の桜の下で
今年の四月に長男は小学校二年生、次男は幼稚園の年長組にそれぞれ進級した。入学式にはなんといっても桜吹雪が似合う。
安倍政権の下で、欧米諸国に合わせて四月ではなくて九月に小中高大の入学式を導入すべしとの改革案が提唱されたが、私は反対である。多くの良識ある日本国民も反対するであろう。年度はじめの四月に桜の下で入学式を行うというのが明治以来の日本の伝統・文化である。
日本の伝統・文化を単純な西欧的合理主義で壊してはならない。九月入学とか英国式のバウチャー制度の導入などは日本社会になじむような改革と言えるのか。理解に苦しむ。安倍総理の側近のみなさんや有識者の方々はどのようにお考えであろうか。
暖かくなるとテントウムシがそこら中に出没する。次男はテントウムシが大好きで昨日も近くの畑からたくさんテントウムシを捕まえてきた。現職の国会議員の頃から住んでいる家賃六万円の借家にも狭いながらも庭がある。そこで息子たちが四季折々の草花や昆虫を見つけ、図鑑と比べて名前を覚える。
近くの野山は子供達にとって本当の意味で自然の学級である。そこには人間界特有の今はやりの勝ち組負け組といった貧富の差や地位名誉肩書きといった俗物的なものがない。それとは全く違った大自然の摂理というか天の意思が働いている。その意味で春に一斉に咲いて、ぱっと散る桜は日本人の生き様や心意気に通じている。本当に日本国の花である。
ところで、桜というと次の短歌が頭に浮かぶ。日本の国学者の本居宣長が詠んだ歌である。「敷島のやまとごころと人問はば 朝日に匂ふ山桜花」これを現代語に訳すると、「あるとき自分に対して弟子の一人がやまとごころを一言で表すと何でしょうかと尋ねた。自分はそれに対して、朝日がまぶしく照らしている山桜の花であると答えた。」
いよいよ五月の端午の節句が来る。大きな大きな鯉のぼりが天高く舞い、浜松祭りで各町の凧が天高くあがる。子供の成長とともに、その時期が来ることを楽しみにしている。
4月11日(水)