長崎市長とバージニア工科大学事件
2007.04.20
政治
17日午後8時頃、伊藤一長市長が選挙事務所近くで暴力団関係者に撃たれて死亡した。
これに対して「厳正に捜査が行われ、事件の早期解決を望む」だとか「民主主義に対する挑戦」というようなコメントが政府や有識者から出された。
前者の「厳正に」云々はあまりにもお役人的な表現でひとごとのように聞こえる。また、後者の「民主主義」云々については、いかなる背景があろうとも、この種の事件は非民主的な旧ソ連や現在の中国、北朝鮮のような一党独裁の国家であっても人の道として許されない暴挙であることは明白である。
先日もアメリカのバージニア工科大学で韓国人の学生が銃を乱射し、30数名が死亡した。大陸系ですぐかっとする韓国人の民族性による事件であると一部の人達は受け止めているかもしれないが、私はそうは思わない。それよりもむしろ、日本社会のみならず、アメリカを含むこの地球がどうしようもないくらい病んでいることから起きた事件ではないだろうか。
すなわち、自分さえよければ家族も犠牲にするような風潮、あるいは法律を犯してまでおかねさえ稼げれば良いというような六本木ヒルズ族に代表される風潮がそうである。
要は、理屈を抜きにして「どんなことがあろうとも暴力は絶対に許さない!」、「だめなものはだめ」だということである。
犠牲者の方々に対し、改めてお悔やみ申し上げる。
4月20日(金)