◇ コ ラ ム ◇ 村田良平元外務次官のご逝去
外務省時代に大変お世話になった村田良平元外務事務次官が3月18日に急逝された。
私が入省した西暦1989年(平成元年)に西ドイツのベルリンの壁が崩れ、翌年ドイツのアウグスブルク大学に留学中に東西ドイツが統一した。
その後二年間のドイツ留学を経てボンのドイツ大使館に勤務することになった。その時お仕えした大使が村田大使であった。私は経済班勤務ののち儀典担当官として村田大使の秘書官として直接お仕えした。文字通りかばんもちであったが、戦後のドイツ留学組の村田大使には多くを学ばせていただいたのである。
村田大使は外交評論家の岡崎久彦先生と同期入省である。村田大使の仕事への取り組みは大変厳しく周囲から若干畏怖されておられたようであったが、なぜか私のような浅学非才のかなりおおざっぱな性格の若造をとてもかわいがってくださった。退官後もいろいろと励ましてくださり、目をかけていただいた。落選中にわざわざ浜松までお越しになり励まして下さったご恩は一生忘れない。
その村田大使に昨年12月末に関西城内塾を京都で開催した翌日に京都でお会いした。昼食をともにした際、村田大使は私にこう言われた。
「城内君が今回当選して本当に良かった。私は癌で母校の京都大学付属病院で治療を受けているが来年には間違いなく死ぬだろう。それは分かっている。日本がおかしくなっている。君にはがんばってもらいたい。」といつもの落ち着いた口調で淡々と述べられた。めったに動揺しない私であるが、目頭が熱くなった。
私は昼にお酒を飲まないようにしているが、村田大使が「城内君、日本酒を一杯やろう。」と言われた。村田大使の「当選おめでとう」の一言で杯を上げた。
帰り際タクシーにお乗りになる村田大使閣下の足を引きずるお姿が本当に痛々しかった。来月4月にも関西城内塾の会合を利用してお会いする予定であったが、それがかなわぬことになった。
村田大使のご冥福を心よりお祈り申し上げるとともに、心ある同志とともに村田大使のご遺志を受け継ぎ、わが日本の再建に向けてがんばりたいと思う。
村田大使(平成21年12月22日、於:京都)
参照:岡崎久彦氏「『村田良平回想緑』に想う」
古森義久氏:「村田良平元外務次官が村山談話の取り消しを求めるー無用の自虐行為と」