★活動報告★ 城内実、北遠を行く(写真付)
7日(火)の夜から浜松市初生の自宅を離れ、三泊四日の日程で北遠地域を廻ってきて、ちょうど今自宅に戻ったところである。北遠とは、遠州北部の意味で、旧天竜市、旧龍山村、佐久間町、水窪町、春野町で構成される天竜川沿いの中山間地域である。私の祖母はこの北遠の佐久間町(旧山香村)の西渡という地区で生まれ、18歳までそこで育った。西渡は祖母の幼少時の大正から昭和にかけて久根鉱山と林業で大変栄えた町であった。祖母の父が経営した菓子屋の「大和屋(やまとや)」も、職人を何人も使って結構繁盛していた。芸者もたくさんいたそうである。
8日(水)は朝から晩まで水窪町を廻った。水窪町は浜松市の中心部から車で1時間30分ほどかかる山間地域である。水窪町の中心部からさらに車で30分ほどかかる門桁地区を久方ぶりに訪問した。門桁はたった30軒ばかりの陸の孤島の集落である。
夜は西浦田楽で有名な水窪の西浦地区のお寺にて、集落の人々による「お施餓鬼(せがき)」(いわゆるお盆の時期の施餓鬼会)があり、見物させていただいた。
9日(木)は佐久間町の城西地区と山香地区を廻った。城西地区、山香地区などの中にさらにいくつか集落があり、それぞれに昔ながらの名前がついている。結構読みにくい地名がある。みなさんは次の地名を読めるだろうか。
?切開、?向皆戸、?立原、?下日余、?名古尾、?下平(正解は、?しもったいら、?なごお、?しもひよ、?たっぱら、?むかいがいと、?きいなま)。私は地元のどんな小さな小字(こあざ)の名前も極力覚えるようにしている。先人たちが使った地名にはそれぞれの由来があり、先人たちのたましいが、あるいは言霊がそこに宿っていると思うからである。
城西地区の相月駅の近くの道路が先般の豪雨で半分崩れて通行どめになっていた。その先のお宅を何軒か訪問しなければならないので、そこからずっと国道を下って和泉というところから山をのぼり、山のてっぺんの上日余、下日余を越える迂回路を使った。ここは迂回路があるからまだ良い方で、そうでなければ集落は孤立してしまう。
その後、下日余の山の中腹にあるお宅を三軒ほど訪れたが、そこは舗装された道がなく、山の中のけもの道のようなところをずっとのぼっていかなければならない。歩くと時間がかかるので、簡易モノレールを下までおろしていただいて上までのぼった。最初は良いが途中で急勾配となり、振り落とされそうになった。私は気がつかなかったが、家人が言うには、眼下の茶畑にまむしが何匹かいたとのこと。ぞっとした。ここらへんは地蜂、蚊、虻や、猪、鹿、猿はあたりまえで、毒蛇やヤマビルのようなたぐいの生物も各種取り揃えてあるそうである。
夕方になって、岩井戸のMさんと名古尾のYのお宅を訪問した。Mさんのご自宅は、山の頂上の方にある。下のお宅まで道はあるが、そこに車を止めて、山の中をずっとのぼっていかなければMさん宅にたどり着かない。山道をてくてくのぼりようやく茶畑が見えてきた。人家が近い。さらにそこからまたてくてくのぼる。15分近くのぼったろうか。かなり汗をかいた。
翌日の10日(金)は、佐久間の浦川地区を朝から昼過ぎまで自転車を借りて一軒一軒廻った。佐久間は毎年40℃近い全国最高記録を出すところで有名なところである。長寿日本一ならまだしも、この地球温暖化時代に最高気温日本一とは困ったものである。11時から13時にかけて一番暑かった。後で聞いたら37℃近かったとのこと。こちらは開き直ってこのサウナ状態の炎天下でどれだけ廻れるかがまんくらべのつもりで挑戦した。
猛暑なので通りの人はまばらである。たいていの人は家の中でじっと暑さをしのいでいる。こちらは、帽子もかぶらず、汗だくで廻っているので、訪問した何軒かの家人が中に招き入れてくれて、冷たい飲み物をごちそうになった。こういう人情に触れた瞬間が一番うれしい。幸せである。
午後は、山香地区の西渡、瀬戸、間庄を廻り、夜は旧天竜市の石神と青谷の二箇所でミニ集会(といっても50?60名程度)に出席し、22時頃に鹿島のお祭りの前夜祭に参加。23時過ぎに事務所に戻る。本当に長い一日であった。
今日は朝から地元の月に一度の資源回収なので今日はこれにておしまいにしたいと思う。