筍(たけのこ)ご飯
2006.04.26
政治
今日の夜、地元の会合に出席して筍ご飯を頂いた。ご飯の上には木の芽(山椒の若葉)がのっており、筍の香りと山椒の香りが混ざってなんとも言えない懐かしさを感じた。常連のお客さんが裏山で精魂込めて掘ってきた筍をみんなで頂く。こういうちょっとしたことに日本人としての幸せを感じる。
筍の缶詰というとほとんどが中国製だそうである。レトルト食品の筍ご飯があるとすればその筍は中国製であろう。かりに同じ品質と味だとしても、作り手の顔の見える方が断然おいしい。
自分の家で食べる妻の手料理はつつましいものではあるが、それでも愛情がこもっていればおいしい。
大型店舗の進出により、売り手と買い手のコミュニケーションがなくなってきている。ただ商品を選んでほとんど無言のままレジで精算をすませて、それでおしまい。昔は近くのお店でお天気の話から近所の誰々さんのうわさなんぞしながら買い物をしたものである。
思えば日本は便利になりすぎて、大切なものをどんどん失っている。そのことに意外と気づいていない人が多い。価格破壊で地元で何十年も営業していた身近な商店がつぶれている。効率性や市場原理主義、自由競争を追求するあまり、それに伴い地域の大切なもの(文化)が失われつつある。
ヨーロッパでは閉店法があり、日曜日はほとんどの店がお休みである。日本も日曜日や国民の祝祭日くらいは、例えばドイツのように一部の薬局、ガソリンスタンドを除いて思い切って閉店としたらどうか。
筍ご飯の香りを味わいつつ、つくづく感じるのであった。
4月26日(水)