衆議院議員 静岡県第7選挙区城内 実

活動報告及びお知らせ
国家国民のための信念を貫く男 信念

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近代合理主義精神とやまとごころ

2006.05.22 政治

 何度も言うように、私は欧州に10年近く住み欧州は第二の故郷である。欧州を訪問するたびに懐かしくなり、かつての欧州に滞在していた自分に戻る。欧州の自然、文化に触れるたびに懐かしく感動する。しかし、自分はあくまでも日本語を母国語にする日本人である。私も多少の英語、ドイツ語を話すが、やはり日本語が母国語なのである。
 別に英語やドイツ語ができなくても日本語さえできればそれで充分である。日本人は日本人であることのありがたさを良く分かっていないのではないかと思う。ライブドアのホリエモンは、日本もアメリカも金儲けの観点から関係ないとのたまわったそうであるが、これこそ典型的な「井の中の蛙」であり悪い意味での田舎の日本人である。
 実は大いに日本かアメリカか他国かで違うのである。本当の田舎のまっとうな日本人はそのことを分かっている。
 残念なことに日本人は外国語が不得意である。私はそれで良いと思う。なぜなら、世界の最強の覇権国のアメリカと中国の一般市民も外国語が不得意であるからである。オランダ人は本当に英語とドイツ語が得意である。フィリピンの友人もインドの友人も英語が得意である。その歴史的背景に思いを馳せる時、我々は日本人はそのことを納得する。
 近代合理主義の立場からは、英語のようなアングロサクソン系の言語が世界標準語になるのだろうが、日本の和歌や俳句のにみられるように情緒を重んじるような言語こそ実は本当の神のことばに近いような気がしてならない。言霊(ことだま)というものがあるが、英語とドイツ語からはほとんど言霊は伝わらない、日本語の微妙な音からくるかみがかりてきなものを感じるときがある。みなさんはどうであろうか。1+2=3というような、西欧の近代合理主義に染まった日本人には分からないだろうが、都会の喧噪を離れ奥深い山に数週間もいれば感じるであろう日本の国土の霊性について考えさせらることがある。
 やまとごころについて最近気がかりである。おそらくやまとごころをきちんと理解せずして、西欧文化を正しく理解できない。そう感じる今日この頃である。
                                  5月22日(月)