衆議院議員 静岡県第7選挙区城内 実

活動報告及びお知らせ
国家国民のための信念を貫く男 信念

活動報告及びお知らせ

ACTIVITY

★活動報告★ 10月28日(日)(写真付)

2007.10.28 活動報告

 今日は朝から強行軍であった。9時半に地元浜松の可美小学校で行われている可美地区町民運動会に行った。可美は、なんといってもスズキ自動車の本社があることで有名な地域である。私の親戚(父のいとこ)の袴田氏もこの可美住んでいるので身近に感じる地区である。
 可美は高塚南、高塚北、増楽、若林西、若林東、若林北、東若林といった7つの自治会で構成される。各自治会の支援者の皆さんに引き回していただいた。可美商工会の婦人部のみなさんもいらした。メインイベントは各町対抗の綱引きであった。各町で負けじと真剣に綱引きをやっていた。
 昨日は大雨であったが、今日は運動会びよりの秋晴れであった。およそ1000人近い老若男女の方々がスポーツの秋を楽しんでおられた。壮観である。dsc05043.jpg
 続いて私の居住している三方原地区の豊岡小学校でも運動会があったので行った。豊岡小学校の校区は根洗、百園、清水、豊岡、三幸、東三方、東三方官舎の各自治会である。懇意にしている自治会長さんはじめ私の子供の同級生の若いお父さん、お母さんがいらした。みんな歓迎してくださった。dsc05046.jpg
 その後は、北の旧天竜市に向かった。天竜厚生会祭りが開催されていた。この地区は障害者や老人の福祉施設があるところである。ここでも3000名を越える大勢の方々が来ていた。時間の都合上30分いて帰ろうとしたが、握手攻めにあい、一時間近くいることとなった。顔なじみの天竜の「うんなの里」をはじめとする支援者のみなさんもそこにいらした。dsc05048.jpg
 それから、いそいで浜北の宮口に向かった。そこでは、田舎の一地酒屋から全国区に飛躍しつつある「花の舞」酒造の年に一度の振る舞い酒の会が開催されていた。花の舞酒造の高田社長の話によると、快晴ということもあって約5000名の人出でにぎわっているとのこと。たしかに沿道には人また人の波である。この日は花の舞の蔵出しの酒が無料で全員に提供される。全国から酒好きが集まる日である。高田社長は私の父の高校の後輩である。大変な実業家である。高田社長に聞いた。「こんなに大勢の方々にただでお酒を振る舞えば大変な赤字ではないですか。」。高田社長曰く、「もちろん大赤字ですよ。でも毎年一度くらい、『花の舞』」を飲んでいただいているファンの方や、お世話になっている地元のみなさんに感謝の気持ちをこめてこういう楽しい催しものをやりたいんですよ。」これを聞いて本当に頭が下がる思いがした。目先の利益を考えずに、感謝の気持ちをこめてお客様を大切にするこのまごころ。きっと花の舞はこれからどんどん繁盛するであろう。dsc05051.jpg
 実は「花の舞」が全国区になりつつあるのは、私の知り合いの土田一仁という若い有能な杜氏ががんばっているからである。今日も元気に土田さんが沿道のみなさんにお酒を振る舞っていた。
 午後1時には花の舞の宮口を離れ、湖西市の新所原に向かった。新所原は私の選挙区の最西端で愛知県の豊橋市に接しているところである。湖西市にはアスモというトヨタ系の大企業があるが、私の親戚の城内幸則氏が勤めている。私がなぜこういうことまでこのブログに書いているかというと、多くの方が私がこの静岡県西部地域に全く縁もゆかりもない落下傘候補であるという誤解をもっているからである。私は東京生まれ東京育ちではない。現在42歳であるが父の転勤でふるさと浜松を離れ、日本全国を転々としていた。第二の故郷は小学校一年から四年まで過ごし、外務省時代もああわせて約10間生活したドイツである。第三の故郷は生まれてから三歳まで過ごした広島市、第四の故郷は中学高校と過ごした横浜である。
 先々週、週刊ポストに10月8日の地元浜松市における4000名を越えるシンポジウムの模様がグラビアに載っていたが、私の経歴のところに「東京都出身」とある。確かに外務省時代と幼稚園(新宿区立淀橋第四小付属)、小学校時代の一部、ドイツから日本に帰ってきた数年、東京に住んでいたが、次から次へと引っ越してるので、東京都民という感覚があまりない。
 新所原では政治評論家の福岡政行先生と城内実応援会会長の太田誠駒澤大学野球部名誉監督とともに講演を行った。新所原駅北口から出てすぐ左にある公民館には約100名近い方々が集まっておられた。dsc05062.jpg
 それから、私が仲人をつとめた中村洋志君の上棟式が雄踏町の掘出前の住宅街であったので、家族ともども参加させていただいた。七歳、六歳の長男、次男とともに、二階にのぼって、上からお餅やお菓子を下に集まってるひとたちに投げた。ふと手元をみると、お餅投げのお餅は雄踏町の「大和屋」のものであった。私の祖母方の父が明治から昭和にかけて現在の天竜佐久間町(旧山香村)の西渡で菓子屋を営んでいたが、その店も「やまと屋」であった。昭和のはじめに西渡の大火事があり、店が全焼したため昭和初期に浜松駅の南の海老塚町に新たに「磯浜」(磯部が浜松に店を構えたから)をオープンした。もうこういった事実を知る方々は少なくなってきた。
 最後に花川の農協で福岡政行先生の講演があった。数えてみれば190名近い方々がお越しになっていた。本当にありがたい。これからも全力で国政復帰をめざしてがんばる所存である。 dsc05107.jpg