◇ コ ラ ム ◇ 木下恵介監督
私城内実が古い戦前のSPレコードを収集していることをこのブログでも何度も紹介した。現に城内実のHPの関連文章等で内容がややマニアックなので反響は今ひとつであるが、私の過去執筆したSPレコードに関する随筆「昭和ーSPレコードで辿れば」を掲載した。
城内実はSPレコード以外にも日本映画すなわち邦画もこよなく愛している。私の出身地の浜松は日本が誇る映画監督の木下恵介氏を輩出した。木下恵介監督といえば、「稲妻」、「二十四の瞳」、「カルメン故郷に帰る」(日本初の総天然色映画)、「カルメン純情す」、「喜びも悲しみも幾年月」などで有名である。いずれも女優の高峰秀子さんが主演している。
高峰秀子さんといえば、私が中学生の頃に「私の渡世日記」(上、下)を読んで感動し、それ以来大ファンである。戦前では、灰田勝彦氏との共演の「秀子の応援團長」や徳川夢声氏との「綴方教室」などですばらし子役を演じた。
高峰秀子さんといえば、戦後ナショナルのコマーシャルでも有名な大スターである。女優としての絶頂期に小豆島で「二十四の瞳」のロケをやった。木下恵介監督はそこで当時助監督とは名ばかりで事実上の使い走りで全く無名の松山善三氏を高峰秀子さんに紹介する。そして二人は後に生涯独身の木下恵介監督の仲人で結婚する。「私の渡世日記」によると、10代の高峰秀子さんの初恋の人は若き黒沢明監督であったそうだ。私はなんといっても木下恵介監督が偉いと思ったのは松山善三という名も無き人格者を高峰秀子という本当は地味で派手なことが大嫌いな女性と縁結びをしたことだと思っている。
松山善三氏といえば、どちらかというと脚本家であり監督作品は意外と少ない。しかし、昭和36年の作品である「名もなく貧しく美しく」(高峰秀子、小林桂樹主演)や「典子は、今」(昭和56年)は日本映画史上に残る名作である。
いずれにせよ、浜松が生んだ偉大な映画監督は木下恵介であり、偉大な作詞歌は高峰秀子が戦中に歌った「森の水車」や田端義夫の「かえり歌」などを作詩した清水みのるである。
ちなみに木下恵介監督の弟の木下忠司氏は作曲家で、「カルメン故郷に帰る」の音楽を担当し、黛敏郎の曲を編曲している。黛敏郎が作曲した「カルメン故郷に帰る」の主題歌の「花のパリーのシャンゼリゼー」という高峰秀子さんが歌う歌詞の文句が私は好きである。デコちゃん(高峰秀子さん)ファンとあってはビクターから出た「カルメン故郷に帰る」のレコードはもちろん持っているが、戦後の高峰秀子さんのSP盤の「銀座カンカン娘」は私は同じものを三枚所有している。どこにでもあるありふれた盤であるが、「カルメン故郷に帰る」は意外と少ない。