◇ コ ラ ム ◇ 「自殺」
2007.11.09
コラム
昨日のブログの最後に、「それにしても、守屋前次官が「自殺」しなければ良いのだが・・・・・・。」と書いた。最近、いろいろな高度な薬品(劇薬)のせいで自殺を偽装した不審死が多いそうである。これでは、生命保険会社もたまったものではない。
私は自殺は神様に対する冒涜だと信じている。我々人間は宇宙の中にあってはちっぽけな粟粒のような存在である。この人間ごときがとても理解できない高次元の崇高な存在(人はこれを「神」と呼ぶ)からいただいた、肉体、生命を勝手に許可無く傷つけることが許されようはずがない。
だから自殺は邪道なのである。私城内実はどんなに苦境に陥ろうとも自殺だけは絶対にしない。私が「自殺」したと報道されたら、これは自殺の偽装で誰かに殺されたと思っていただきたい。
古今東西、あらゆる宗教は自殺を禁じてきた。これは偶然でもなんでもなく、自殺の罪をあがなうためには子々孫々まで苦労をかけ迷惑をかけることになるからである。
自殺するくらいなら殺された方がましである。人を殺す、すなわち神から与えられた生命を勝手に許可無く絶つことは、同じように神に対する冒涜である。だから、自殺を偽装して人を殺すようなやからは、間違いなく、二重の意味で阿鼻叫喚の地獄で苦しむのである。
こんなことを書いても現世御利益型の刹那的なひとたちにはぴんとこない。感性や霊性について、良く分かっていないひとたちは肉体が滅び、魂だけになったときにはじめて気がつくであろう。しかし、そのときにはもう遅いのである。