衆議院議員 静岡県第7選挙区城内 実

活動報告及びお知らせ
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◇ コ ラ ム ◇ 古典芸能

2007.11.25 コラム

 ものごころついてから落語を聞くようになった。落語について鮮明に記憶しているのは、今から約32年前に四年半住んでいたドイツから祖国日本に帰国するJALのジャンボ機の中のことである。機内で特にすることもないので、起きている間は落語をずっと聞いた。熊さん八っつあんの滑稽なものがたりは、西洋文化とは全く違う何か自分のDNAにしみこんでいる祖国日本を感じさせた。
 昭和50年(1975年)の八月にドイツから日本に帰国した。夏休みを父の実家の浜松で一ヶ月半近く過ごし、父の転勤で神戸に引っ越した。神戸の諏訪山小学校時代は自宅にテレビがなかったので、毎日ラジオを聞いていた。朝日放送、毎日放送、ラジオ大阪、ラジオ関西、近畿放送を懐かしく思い出す。
 当時関西のラジオ局では、上方の落語がよく放送された。また、NHKでは上方演芸会が日曜日の夜に放送され、その後21時05分から30分、古関裕而のメロディーで森繁久彌と加藤道子の日曜名作座が放送された。それを布団の中でうとうとしながら当時小学校四年生の私は聞いていた。今年は日曜名作座が放送されてから、50周年にあたる。現在日曜名作座は毎週日曜日の夜23時15分から30分過去の番組が再放送されているが今聞いてもすばらしい。
 ラジオから流れる上方の落語や早朝のラジオの浪曲や講談は初等教育をドイツで過ごした少年城内実には誠に新鮮に聞こえた。その後、神戸から東京、東京から横浜の小学校へと転校したが、講談社文庫から出版された興津要氏編著の古典落語各巻を毎日むさぶるように読んだ。それほど落語を愛好していた。
 中学校に入って戦前のSPレコードを蒐集するようになってからも、大正時代の三代目柳家小さんの「うどんや」のレコードをどこかの古道具屋から手に入れ、良くかけて聞いた。三代目柳家小さんといえば、文豪夏目漱石が「三四郎」の中で書生の口を借りて「小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものじゃない。何時でも聞けると思うから安っぽい感じがして、甚だ気の毒だ。実は彼と時を同じうして生きている我々は大変仕合わせである。今から少し前に生まれても小さんは聞けない。少し後れても同様だ。」と語らせたほどの名人である。この大正時代の「うどんや」のレコードを大学時代にポータブル蓄音器と特殊なSP用の針を使って、日本文化の授業で披露したことを懐かしく思い出す。
 明治、大正時代の当時は三代目柳家小さんの他にも、初代三遊亭圓右や四代目橘家圓喬、快楽亭ブラックなどの一世を風靡した落語の名人がいた。その肉声は現在も明治の出張録音盤や大正時代の旧吹き込みのレコードで聞くことができる。
 いずれにせよ、こうした古典芸能に触れるにつけ、日本の古典芸能の奥の深さを感じる次第である。