◎ 政 治 ◎ 二世三世議員と仙人
私には4月から小学校3年生、1年生になる二人の息子がいる。その二人の息子がたとえ父親の私の後を継いで政治家になりたいと言っても絶対に自分の選挙区から出すようなことはしない。政治家は家業でななく、あくまで地域の代表であるからだ。有権者約30万人の中で自分の子供が一番最適の後継者であるという確率はどれだけなのか。ものすごく低いと思う。
徳川時代ではないのだから、二代、三代、四代と血縁だけでしめるというのはいかがなものか。私の息子がどうしても選挙に出たいというのなら、他の政党から出馬して父親を倒すか別の選挙区で全て自分の力で親の助けなしで出るかのどちらかである。
私も地盤、看板、かばんもないなか、無謀にも五年前に外務省を辞めて、徒手空拳で地元静岡七区(当時は九区)の公募に応募して予備選挙に出た。そこらへんの経緯は城内実関連文章の「人生の失敗」を参照願いたい。
既得権益がけしからんというのであれば、国会議員の二世、三世議員こそ既得権益ではないのか。それは親父が大事にしていた、しがらみや利権を引き継がなければ、そこにぶらさがっていた連中の既得権もなくなるわけだから大事にするわけだ。
確かに、私が尊敬する二世、三世議員も大勢いる。しかし、テレビにちゃらちゃら出ている某参議院議員(二世)やら、アメリカ型の広報戦略(愚民化政策)にたけている同じく某参議院議員(二世)のような連中が日本の顔としてお茶の間をにぎわしている。世も末である。国民もなめられたものだ。ルパン三世、ルイ十四世もびっくりである。
私の息子は議員にしたくない。本当に命がけで国家国民のために活動するのであれば、タブーも避けて通れないし、人権擁護法案(=人権侵害糾弾ゲシュタポ法案、ネット規制表現の自由圧殺法案)や郵政民営化法案(=郵政米営化「日本売り」売国法案、カイカク利権屋国民奴隷化法案)のようにそのからくりや真相を世論に問うようなことをすれば、命がいくつあってもたりない。父親としてかわいい息子にそんなことをさせたくない。こどもたちには将来子だくさんの平和な家庭を築いてもらいたいからだ。
私も国家国民のためにこのあと一世一代の大仕事をさせていただいたら、一切の肩書きを捨てて、さっさと祖父母の生まれ育った山奥に隠棲して世俗との交渉を絶って、晴耕雨読の仙人のような暮らしをしたいと思っている。できれば50代後半くらいで。何を隠そうこれが私の夢である。私はやると言ったらやる。おカネという紙切れのフィクションの世界ではなく、自然の中で田畑を耕して、先人のご苦労に思いを致しながら、自給自足の生活をする。それまでに命があればの話であるが。
このブログの読者のみなさまに改めてお願いする。この身が朽ち果てようとも、ただひたすら、「後に続くを信ず」。
参考:「小畑くにおログ」、「新三ログ」 、「喜八ログ」、「酔夢ing Voice」