◎ 政 治 ◎ 裁判員制度と司法改革
このブログの読者の方から裁判員制度に対する私の立場について問われたので、以下でお答えする。
私は現在の硬直的な司法制度は大いに改革すべきだと考えているが、裁判員制度の導入には否定的な立場である。なぜなら、アメリカのような陪審員制度は、「目に見えない人と人との信頼関係」を重んじる日本の国柄や日本人の国民性にはなじまないと考えているからである。かの国では、訴訟が頻発し、乱訴が社会問題になっている。
ペットを電子レンジに入れて殺してしまった飼い主が、電子レンジ(日本製?)の取扱説明書に『濡れたペットを入れて乾かしてはいけません』という注意書きが書かれていなかったことをもって、家電メーカーに対して高額な訴訟がアメリカでおこされたという嘘のような話を聞いたことがある。こんな「いいがかり」みたいなことで裁判がはじまり、訴えられる人・会社が出てくるとは驚きである。
今の日本では普通の国民が一生の内に裁判にかかわるのはまれであろう。ところが、かの国では、離婚でも交通事故でも医療ミスでもすぐに裁判。人の不幸をどこからか聞きつけて弁護士たちが何人も売り込みに来るそうだ。「あなたの訴訟無料で引き受けます。但し、成功報酬で、裁判で勝ち取った賠償金の30%いただきます。」
なにせ、石をなげれば弁護士にあたると言われるほどアメリカにはロースクールを出た弁護士があふれている。よもやアメリカ国内であぶれている弁護士さんたちが、どっと日本に入ってきて、日本人の人の良さにつけこんで、日本人に「裁判ごっこ」をさせるために裁判員制度を導入するわけではあるまい。
日本でも法科大学院を全国各地に創設して弁護士の数をいっきに増やそうとしている。弁護士ならぬ弁護屋さんが粗製濫造されないのだろうか。また、NYにでもいる某国の親分弁護士の手先となって日本人のもめごとにつけこむような日本人弁護士が出てこないか。心配である。
そもそも日本では法律をたてにお互いが争うよりも、社会的な常識や規範でもって「事前に」話し合いで紛争を解決してきた。和をもって尊しとなす、農耕民族の民族性ともいうべきものだろうか。それに対して、欧米諸国では、紛争処理は「事後に」裁判で決着することが多い。
私が裁判員に任命されたとしても、法律の専門家でもない私が的確な判断などできるのだろうか。被害者に感情移入してしまい、感情的な判断しかできないかもしれない。そもそも、仕事をかかえて忙しい人はどうするのか。弱肉強食型の構造カイカク路線のせいで休日返上、昼夜分かたず働きずくめの中小零細企業のオーナーの方などどうするのか。子育て中の主婦は?工場で夜勤されている方は?
裁判員になれるとしたら、年金生活者の方でよほど暇で余裕のある方や、裁判が死ぬほど大好きな方くらいであろう。
カイカク、カイカクって言ってなんでもカイカクすれば良いというものではない。国民の負担が増えるばかりのカイカクはニセモノのカイカクである。
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