◎ 政 治 ◎ 長野聖火リレーとチベット問題
26日(土)の長野の聖火リレーのニュースを見て思ったことを書く。
ひとまず、善光寺の賢明な判断を高く評価したい。同じ仏教者として、チベットの何の罪もない僧侶やこどもたちがおおぜい虐殺、虐待されているのを見て見ぬふりはできなかったのは当然である。善光寺の聖火リレーが中止となったのは若い善光寺の僧侶たちが立ち上がったからだと聞いている。
しかし、テレビで見た聖火リレーの番組を見て思ったことは、異様なまでの中国国旗の数である。どうみても自然発生的なものとは思えないのである。それに比べて「平和の祭典」に疑問を投げかけ、果敢に挑戦するチベット国旗(ここではあえて「国旗」とする)がかなり押されていた。もし将来名古屋かどこかの日本国内でオリンピックが開催されるとする。北京で聖火リレーがあった場合、沿道にあれだけの日章旗が北京の市中にたなびいているということをみなさん想像できるだろうか。日本人留学生や企業人を強制的に総動員するしかあるまい。全体主義国家は本当におそろしい。
日本人の「判官贔屓(はんがんびいき)」や、「弱気を助け強くをくじく」の精神はどこにいったのであろうか。世界有数の核保有国であり軍事大国の前に、官民こぞってひれ伏している卑屈な国日本の現状を見るにつけ、本当に嫌悪感をいだいた。
日本がチベット問題を見て見ぬふりをするということは、日本が将来侵略されても諸外国から見て見ぬふりされることを覚悟しなければならないということである。日本人の辞書の中に「義侠心」とか「平和や正義のために連帯」するという言葉はないのであろうか。
チベット民族はじめ、あらゆる世界(日本国内を含む)の少数民族に対する抑圧、弾圧、民族浄化に対して一切のダブルスタンダードを捨てて、今こそ左派も右翼も団結すべき時である。