西郷隆盛先生
22日(金)から24日(日)まで鹿児島に家族と共に出張した。昨年私と同じく亡国郵政法案(詳しくは「奪われる日本」、講談社現代新書、45頁、69頁参照、(735円))に反対した同志古川禎久代議士に招かれて西郷南洲先生の命日の24日に南洲神社にお墓参りをした。22日の夜は古川氏の家族と合流した。古川氏は男の子が三人、私城内実は男の子が二人。同じ年頃の男の子が5人もいると結構にぎやかであった。
私は先の総選挙で落選したが、同志の古川代議士が無所属でありながら当選したことは本当に良かった。彼は心から西郷隆盛を尊敬している。国家観も私と同じ憂国の士である。数少ない宰相の風格のある若手代議士の一人である。私は古川氏の尊敬する「西郷さん」を良くしらなかった。ところが、落選してから支援者の一人が「大西郷遺訓」(大正十四年初版、昭和十八年版)という本をわざわざ古本屋で買ってきて贈呈してくれた。(はじめてその偉大な人間性に触れたのであった。この本を通読して心底感動した。
例えば、「敬天愛人」、「命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、しまつに困るものなり。このしまつに困るひとならでは、艱難(かんなん)をともにして、国家の大業は成し得られぬなり。」、「万民の上に位する者、おのれを慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思うようならでは、政令はおこなわれがたし。」
こうした珠玉の名言が書かれている。私のめざすべき人生観と同じである。
24日の朝7時、まさに大西郷南洲が自刃した命日に古川氏の同志数十名とともに、東から昇る朝日を浴びながら西南の役の烈士の墓地(南洲神社)にお参りできたことは本当に幸せであった。
この混迷する日本社会において私のようなたいした能力のない人間であっても、西郷先生と生死を共にした桐野利秋くらいにはなりたいと思う。現代の西郷南洲翁は、安倍晋三新総理なのかそれとも平沼赳夫先生なのか。それとも別の傑物なのか。良く分からない。
まだ子供たちが寝ている朝5時頃早く起きて、日の出の太陽の光を浴びながら子供たちが元気でいることを神(お天道様=太陽)に感謝する。そのささやかな喜びと感謝の気持ちこそ人生最大の幸せである。地位とか名誉とかお金なんぞは本当にどうでもよい。万民の幸福とはなにか。大金持ちも貧乏人も同じである。その根本精神、根本原理を大事にしたい。
9月24日(日)